小学6年生のころの想い出
2011-01-06


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昭和15年、私は女学校の入学試験を間近に控えた小学6年生だった。
普通なら受験勉強に必死の時期だ。
姉も兄も6年生になると小学校の先生や師範学校の学生さんに家庭教師をお願いしていたのを覚えている。
私の番になったら、親も慣れて大丈夫と考えたらしく家庭教師の話はでなかった。 
決して姉や兄より成績が良かった訳ではない。

その頃は勉強塾は無かったから受験する子には学校で特別授業があって、進学しない生徒はその間は運動場でドッジボールなどで遊んでいるようにに先生から言われていた。
女学校に行かずに高等科(2年間)に進む子がクラスの3分の1くらい居たろうか。
そういうことに疎かった私は一緒に仲良く遊んでいた友達が女学校に行けない現実に戸惑い哀しかった。
世の中って不公平なものと感じた初めての経験だったと思う。

そうまでして受験準備をしていたある日、突然受験の内容は面接と内申のみという通達があって、学校では面接の練習に変更された。
戸の開け方とか礼の仕方、言葉遣いとかとか。
ラッキーだったな。 6年生の最後を思いっきり遊んだ。 進学しない友達とも一緒に。
小学6年生の最後の3学期の日々は楽しかった思いだけが残っているが卒業して別れ別れになって以来、同じ女学校に入った友達以外は再会することも消息を聞く機会もないまま70年が経った。
あの時の友達はどんな人生を送ったのだろう。 勉強したくても進学できない子がいたことが忘れられない。

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