不信の時代
2009-10-23


禺画像]
久しぶりに学生の頃からの親友に電話したら
「この電話は現在使われておりません」
の音声が流れた。
ああ ついに・・・。  来るべき時が来たという思いがあった。
私の早とちりであればいい。 単に同居する事になっただけかも知れないのに何でこんなに動揺してしまったのだろう。
実はここ2年ばかり電話する度に違和感を感じてた。記憶力の良い彼女が今の私の住所を毎回聞く、同じ話の繰り返し、でも学生の頃の話は私よりよく覚えている。私も同じだなとあまり気にしていなかったのだけど、電話は間遠になり最近は呼び出し音は鳴るが出て来ない。 悪いほうについ考えて心配してた矢先の出来事だった。

私は親友が少ないし彼女の家人とも付き合いが無い。 彼女と親しい友達に聞くことを考えたが、今や同窓会名簿というものがないのだ。 クラスメートの何人かを辿っていけば事情が解るかも知れないが、そうまでしたくない。 本人が元気なら自分で連絡してくれるだろう。 浮き世とはそういうものだ。

少し話がずれるがここ何年かの個人情報保護は昔人間には驚くばかりだ。
マンションでも昔は部屋番号に名前が記された紙を貰っていたような記憶、が今は趣味のサークルの電話網、名簿も無いのが普通になってきた。 電話帳に載せる人も減ってきているから昔の知人を電話帳で捜すのは無理だ。
ネットに至っては私など疑心暗鬼の塊だ。
仕方ないと思いつつも侘しいなあ と思う。

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