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小学6年生になって
小学校の6年間は楽しい思い出ばかりだ。
庶民の生活に、まだ戦争の影響は余り感じられず、父は休日にはゴルフに。
母は社交家で殆ど家に居なかった。
末っ子は誰にも構われない分、自由に友達の家を回って、遊び回って勉強もロクにしなかった。
でもスゴく社会勉強にはなったと思う。
戦前は、今では考えられないような格差社会で、クラスメイトの家々に遊びに行って感じる事は多かった。
小学校に上がるまで独りでこもって本ばかり讀んでいたから、何もかもが珍しくてパレアナになったような気分に〓
6年生になると、伊勢神宮に一泊の旅行に。
仲良しのクラスメイトが、健康優良児日本一に選ばれて、新聞記者が詰めかけ、彼女を囲んでバンザイしてる写真が記事になったり。
楽しいことも多かったが、女学校の入試も控えてる。
受験勉強が始った頃に突然、文部省の通達で入試は面接のみとなった。
途端に、勉強そっちのけで面接の練習ばかりになった。
受験の準備が始まった頃に、格差社会の現実をまた痛感させられた。
一緒に仲良く遊んだクラスメイトの進路がマチマチだ。
何だか淋しかった。
女学校に行かず、小学校に付属していた高等科に進む子も。
本当に世間知らずの子どもだった。
私は、母が当然のように姉の通った女学校に決めていた。
3月の始め頃、入試で女学校に。
廊下の椅子で待ってる間は緊張した。
名前を呼ばれて、教室のドアを教わった通りに静かに開ける。
中に入ると、教室の中央の机の向こうに4〓5人の先生方が〓
椅子に腰かけて顔をあげると、何時も我が家に遊びに見えてた先生のお顔も見えてホッと。
「徹夜しないと出来ないくらい宿題が出たらどうする?」
想定外の質問に、思わず本音が出てしまった。
「適当な時間に切り上げて休みます」
言った途端にシマッタと後悔したがモウ遅い。
「どうして?」
無い知恵を巡らした。
「お国のために大事な身体ですから」
と心にもない言い訳を。
そう来たかって感じで、含み笑いされて、もう恥ずかしくて。
それでも無事に合格出来ました。
小学校の6年間は楽しい想い出がいっぱいで、あれから80年余り経つのに、忘れられません。
添付写真は、小学6年生の時に仲の良かったクラスメイトがお父様の転勤で上海に行くことになって写真館で。
右から二人目が主人公。 肩に手をかけてるのが健康優良児日本一になった子。 私は一番右でヘンに写ってて恥ずかしいです。
着ている紺のスモックは当時の小学生の制服のようなモノでした。
胸には名札をぶら下げて。
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