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朝、目が覚めてぼんやり白い天井を眺めながら
「88年前の今ごろ、私はこの世に生まれたのだ」
不思議な想いだった。
痛い思いをして産んでくれて有り難う と母の面影が浮かぶ。
57歳で亡くなったお母さんより私は31年も長生きしてるよ。
姉、兄の次に5月5日に男の子を期待していた母には申し訳なかったけれど、いい人生に恵まれたよって感謝してます。
結婚前の家族の写真は兄が引き継いで私は殆ど持ってない、
ま 写真そのものが今のように簡単に写せる時代ではなかった。
古いアルバムに珍しく家族写真が有って懐かしくて母と私のところだけをスキャンしました。
昭和18年か19年のお正月だと思う。
戦争の最中で華美な服装はご法度、珍しく私も女学校の制服で髪型も規制され始めた頃だ。
母も地味な着物姿で、確かパーマも非国民扱いだった。
もうすぐ「母の日」だ。
お母さんには娘らしいことを何もしなくてごめんね。
私をこの世に送り出してくれた母のことを今日はしんみり偲びました。
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