忘れられない開戦の日
2012-12-08


禺画像]
抜けるような青空だ。
71年前のきょうも晴れて居た。
親友と二人、授業の始まる前に坐っていた女学校の裏庭の芝生は暖かい日射しに包まれていた。
あの時の会話は以前に書いたから省略する。
当時戦時色は忍び寄っていたけれど庶民の生活はまだ平穏だった。
セーラー姿の制服は襞のおおいスカートだったし食料に困る事も無かった。
あの日、私も含めて多くの国民は真珠湾の成果に高揚していた。
今思い返せば終戦までたった4年間、国民生活は崖を転げ落ちるように窮乏と罹災、戦地では有望な若者が戦死した。

今や選挙戦のただ中だ。
昨夜も党首の主張をテレビで垣間みたが判断に迷う。
夢のような理想論は通用しない世界だと理屈では判っている。
でも心から願うのは世界から戦争がなくなること、我が子や夫を戦地におくらないこと、人間同士が争い傷つけ合う方向に行かないで。
太平洋戦争に至るまでにも大義名分ややむを得ない事情は必ず有った。
経済事情は何時も付いて回る。
敗戦時に夢見た世界中が仲良くは稚拙な空想に過ぎなかった。
同じ日本人どうしでも深刻ないじめ問題。
どうして? 戦前、戦中、敗戦直後から考えると夢のように豊かな生活なのに。

私はもう十分に楽しませてもらったからいいけれど、若い世代や可愛い子どもさんを見ていると彼らの平穏な生活を願わないではいられない。 二度と戦争にかかわる事が無いようにと。

添付した石膏像は昭和25年に結婚祝いに友人から贈られたものだ。 黒く汚れていたのを数年前に白いスプレーを吹き付けて蘇らせた。
下に記されてる言葉が判らなくて調べたらドイツ語で(愛する者)だった。 こんな時、夫がいてくれたらと思う。

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