終戦を境に
2012-06-26


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昭和二十年の終戦を境にした変化は大きかったなと振り返って思い返す事が多い。
明治維新とどちらが大きかっただろうか。
やっぱり明治維新の方かななんて想像するがそちらは経験していないから判らない。

敗戦後、年齢を満年齢で数えるようになったのは若返ったようで嬉しかったな。
それまでは生まれた途端に1歳で初めての正月には2歳になる。
新年になると皆一緒に歳をとっていたから解り易い面もあった。

新仮名遣いと当用漢字には抵抗があった。
発音通りだからいいのだけど「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の違いは納得出来ないのもあって未だにキーボードで打ち違えることがある。

初めて就職した職場で文書を書かされたのが丁度転換期で無理に話し言葉に換えたようで落ち着かなかった。
昔の文書は固かったが簡潔明瞭で歯切れが良く風格があると思っていたがもう通用しないだろうな。
今はもう遠ざかってしまったが聖書も文語体のほうが引き締まって好きだった。
漱石だって旧仮名遣いで讀むと何かが違う。
子どもの頃に擦り込まれたことは根強いものがある。

生活で戸惑ったのは単位が変って物差しなども尺のが店頭から消えて裁縫好きの伯母などは嘆いていた。
重さの単位も貫や匁がkgやグラムになったから、これまでお肉百五十匁なんて注文していたのが慣れるまで大変だったと思う。
お米だってそれまで一升、一合、一勺だった。

思想や政治的な面だけでなく日常での細々した事の変化についていくのも歳取っていたら大変だったろう。
なんてことを何故かふっと思い出していろいろ考えた。

今朝は何日かぶりの青空に誘われてバスに乗って隣街まで買い物に行ったら、大通りの真ん中の花壇の色とりどりの花が瑞々しくて眼を楽しませてくれた。

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