寮生だったころ
2012-05-30


禺画像]
昨晩は数独の難しいのに挑戦してて思わず夜更かししてしまった。
後悔しても遅い。 
眠くてぼ〓っとしていたら何時の間にか昔居た学生寮のことを思い出していた。

満年齢で17歳の春だった。 女専に入学して生まれて初めて親元を離れて寮生活を経験する。
二階建ての長屋のような細長い日本家屋が三棟建っていて夫々に寮長先生がいらした。真ん中の廊下を挟んで6畳の和室のドアが並んでいる。
新入生は最上級生と二人で一部屋だ。
窓際に少し離れて机と本棚、後ろには一間幅の押し入れを半分ずつに別けて寝具と衣類をしまう。
女の子らしいモノなど何も無い殺風景な部屋だった。

最初同室になったのはハルピンから来られた優しい方で学校のこと、先生の噂などいろいろ教わった。
でも自由時間は新入生同士が集まってお喋りに夢中だったな。
九州や四国が多かったが、台湾の子ともすぐ親しくなって、二人で写真館で撮ったのが残っている。
敗戦後解放された彼女は張り切っていたけれど卒業後のことは知らない。
大陸から来ていた友人達は敗戦を境に、内地では貴重だった品の小包が届く羨ましい環境から苛酷な引き揚げの惨状に巻き込まれた。

いろんなことが有ったが家からチョット独立した気分の寮生活は楽しい想い出に満ちている。
決められた勉強時間は本ばかり讀んでいたし、寮生活に慣れてくると後は上級生にくっついて背伸びした議論ばかりしていたな。
敗戦後は洋画と歌舞伎と討論会を同じクラスの子と渡り歩いていた。

後年、母は女の子らしい躾もできなかったと後悔を洩らしていたが私には本当に楽しい3年間だった。
その間に半年の学徒動員の工場通いが有ったけれどそれも貴重な体験だったと今は思っている。

書いているうちに色々な情景が蘇って来た。
そのうちにまた書きたい。

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