言葉雑感
2011-06-02


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朝の連ドラ「おひさま」を退院してから欠かさず観ている。
若い友からは「懐かしいでしょう」と言われるし、確かにあの時代の空気が伝わってきてつい思い出に浸ることも多い。

主人公は私の姉と同い年で私より6年上だ。
土地が違えば風俗も全然異なっていた時代だから、着物を着て通ってる小学生が居たのだなあ、日本はまだまだ貧しかったのだ。
いろんな場面で共感したり、ちょっと違うなと思ったりするけれど何時の時代だって皆が同じってことはないだろう。

関西に育った私が一番感心したのは、家族の間での礼儀正しさと言葉の美しさだ。
我が家は「父ちゃん」「母ちゃん」「行ってきまーす」だった。
姉や兄には勿論、父母にも「有難うございます」なんて言ったことなかったなあ。
結婚後10年程して東京に転勤になり関東での生活の方が長くなったが最初は随分戸惑った。
東京に来て女学生や道路工事している人たちの標準語の会話はカルチャーショックだった。
関西では他所行きの言葉が普通に美しく話されていた。

ま 標準語だからすぐに慣れたけど、奇麗な反面言葉の微妙なニュアンスが伝わらないしあまりに直裁すぎる感じは有った。
関西の言葉はラフそうだけど相手が子どもでも方言の丁寧語が入ることが多い。(同じ関西でもいろいろだけど)
我が家の周囲では子どもを呼び捨てにする習慣は無かった。
「お前」なんて言われたことがない。
お断りをする時は相手の方を傷つけないようにやんわりと匂わせて察して戴く。
東京に行った当座はPTAの友人に「イエスかノーかはっきりしてよ」とよく言われた。 こちらにするとはっきりノーと言ってるのにと不思議だった。

もう今は東京弁が好きになっているが、京都に行ったり電話で役所やお寺の方と話す時は努めて京都言葉を使う。
話がスムーズに運ぶように思うのだ。

ドラマを見ていて折り目正しい言葉は気持ちのよいものだと書き出したが、各地の土地に根ざした言葉も温泉につかった様に気持ちがほんわかするなと何だか纏まりの無い話になってしまった。

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