ヨットの思い出
2009-11-08


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30代後半のころだったろうか、或る日夫がいきなり「ヨットを買うことにした」と宣言した。 中古の出物を見つけたらしい。
次の休みに二人で車で半島の先の小さな造船所まで見に行った。
がらんとした倉庫のなかでご対面。 ディンギーヨットって言うのかしら、2〓3人乗りのスマートなヨットだった。
それから保管場所を捜す。 まだ薄給の身だから立派なヨットハーバーに停留するのは無理、浜辺の近くの農家の小屋に置かせて貰う事にして それから月に2〓3回、車で1時間ほどの距離を通った。

ヨットってロマン感じて素敵! と思うかたが多いでしょう。
でも下準備が大変、海に向かって砂浜を押し出すのが力仕事! 子ども達はまだ危なくて連れて来れないから、私はクルーだ。
無事沖に出るとクルーは忙しい! 船長から「それっ 右に」
「あっ 反対側に」と指令が飛ぶ。 その度にセイルのロープを
引っ張って船縁から身をそらすのだ。 方向転換の時はヒヤヒヤする。 無風状態になるとゆらゆら浮かんでる状態。
それでも海の大気はかぐわしい! 海の真っただ中に浮かんでる感動! は確かに有った。

回数重ねるうちに単調さにすこし飽きて来た。ヨットは操縦してこそ面白いのだと思う。
晩秋の頃、その日は良い風でスイスイ走った。 前方に網に海藻がいっぱい絡まってるのが見えて「危ないんじゃない?」と言ったが、夫は私の臆病なの知ってるから「これくらい大丈夫だよ」
と言って、数分後には突っ込んでヨットは転覆、いわゆる「沈」だ。 気がついたら逆さまになったヨットの船底にしがみついていた。 夫は向かい側に掴まっている。
「ヨットを起こすから手を離して」
「イヤよ。 恐い」
「起こさないとしょうがないじゃないか」
そのとき向こうの方に近くのヨットハーバーの船が見えた。
これくらいの事は何とかなる、という夫の制止を無視して手を振って助けての合図をした。
結局我々は救助されヨットはハーバーまで曳航された。
その日の帰りは、ずぶ濡れの衣服のまま車の中二人とも不機嫌で口もきかず帰宅した。夫の屈辱感も解るが危険は嫌だ。子どもが待ってる。

それ以来、私は付いて行くのを止め、夫は何も言わずに一人乗りのヨットに買い替え江ノ島に係留して独りで行くようになった。
何年かするうちに夫もゴルフに転向してヨットは手放した。

定年後移った海辺の家からは湘南の海に浮かぶヨットがよく見られた。時にはレースの様子も。 近所には大学のヨット部の合宿所が幾つか有り若者で賑わっていて、中年の思い出だがあの頃のヨットのことを懐かしく思いだしたりした。
若いって良かったなあ。 小さな 波瀾万丈物語。

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